r.i.p.MICK KARN ~メモリーを闊歩する天賦の芸術家~

Lonly musician

誰にでも、その逝去に向き合い、その旅立ちに何かしらのケジメというか節目― 咀嚼といってもいいかもしれない ―をつけなくてはならない芸術家というものがいるだろう。
僕の場合、その芸術家のひとりはMick Karn(本名Anthony Michaelides)である。

Rust

rust

「芸術家」と仰々しく言うと肩が凝ってしまいそうだが、Mickはフレットレスベースの鬼才として知られているほかに、僕にとっては彫刻家、画家としての比重も結構大きい。

僕のMickを巡る記憶は、ご多分に漏れずJAPANからだが、高校生の時に田舎の本屋で手にした何かの雑誌に掲載されていた、彼のモノクロ写真が強烈に脳裏に焼き付いている。

その写真とは、自作彫像を周りの暗闇に置き、座禅を組むかのように中央に座り、ベースを弾いている或いは抱いているかのようなMickの姿だった。この体験以降、僕はベースに没頭する意を決めた(のだったが、今となっては…)

ミュージシャンとしてのMickは、ベーシスト以外にサックス、アフリカンフルートの奏者、ヴォーカルとしての横顔も無視できない。これだけではない。「芸術家」Mickが創作していた彫像は、高校生当時は下手ウマと思っていたが、目にする度に彼のオリジナリティが伝わり、いま改めて見るに、ユーモアだがどこかもの哀しく、味わいのある優れた作品群だ。そこからは土着的というかアフリカ的というか、彼の生まれ故郷のキプロス島的なイメージを否定できない。

Buoy

ご存じ、デビシルが歌っている
Buoyのジャケ

画家Mickの作品は、その数多くを知らないが、「もしや、これも…」とグッと惹きつけられたこの絵画は、やはり彼の作だった(左絵)。

前後するが、高校時のMick原体験となった写真を探してみたら、あった! 正確に言うと、それらしきものが見つかった。それが冒頭の写真‘Lonely Musician’だ。

ただ、自分が記憶していたイメージと、どこか違う。でも改めて眺めると高校時に見た写真は、これだったような気もする。頭の中が多少混乱している...

芸術家の才能の源泉をルーツに帰納させることは、安直な推測――と控えていたが、MickとLiquid Glassを共作した半野喜弘氏によるライナーノーツを読み返すに、流石、的を射た興味深いMick像を記しており、なにか吹っ切れた。ここでちょっと同氏の言葉を借りる。

ほとんどの音楽家というものは、自らの音楽とその時代との関連性を切実に求めるものだ。
...そんな中で、ミック・カーンという音楽家はそういった欲望とはほとんど無縁に(無縁ではないが、少なくとも意識的ではなく)存在してきた。...彼は創造する手段として音楽を選んだに過ぎないのかもしれないとも思う。
言葉、
絵画、
彫刻、
建築、
何でもよかったのだろう。

ミック・カーンのあの独特なメロディー感、リズムの発想は彼の人種的背景に大きく関わっている。彼にとって、アラブ・中近東の調律、スケールは極自然なモノのようで、本人に特別な意識はまるで無いのが笑える。自分のプレイが奇妙だと認識するまでに時間がかかったと以前に話していたので、本人は特異性についてはそれほど意識していないようだ。

...彼自体が、音楽をそれほどロジカル、理論的に創るタイプではないので、より自由度を増しているのだろうが、彼は鋭い嗅覚、そう嗅覚で音楽を創っている。(Japanのメンバーというのは全員そういうタイプのようで、勿論ベクトルはそれぞれ違うが、それで結果ああいう奇妙な音楽を創る結果となったのだろう、偶然?)。
               (Each Eye a Pathのライナーノーツ、2001年より抜粋)

Mickの生まれ故郷キプロス島は、オスマントルコ帝国の影を残す北キプロス・トルコ共和国と英国領、キプロス共和国(ギリシャ系)の3地域に分かれており、これだけでもこの島の複雑な歴史背景が十分に伺える。Mickは3歳に家族とともにロンドンに移っているが、2004年から癌が発覚する2010年まで妻子と共にキプロスに戻っていた。(と、これを書いている最中に公式サイトを読んだら、彼は「トルコ音楽の影響を受けている」と言明していた^^)。

Mick Karn on the Southbank 1983 – “Sculpture”

DL後、拡張子をmp4に

僕は残念ながらリアルタイムのJAPANを知らず、解散の詳しい経緯もよく分からない。ただ解散の1982年、Mickは早くもソロアルバムTitlesを発表しており、彼の作品中でも秀作(と僕は思っている)がこの時期に出されたことに、聴く度に驚きの念を禁じ得ない。

JAPANの中で楽天家のイメキャラを植え付けられたMickだが、“孤独な影”を背負って苦悩していたDavid Sylvianをよそ目にMickがいとも直感的に精力的な創作活動を繰り広げていることに、デビシルはある種の嫉妬とも羨望とも言える心情を、抱いていたのではなかろうか。でも、デビは最期には――(後述)

話をまた元に戻す。高校の時に見た、Mick原体験となった写真。自分の記憶と多少ずれているが、それはそれで良いと思う。記憶、特に芸術家に対する記憶は、大衆或いは個人により塗り固められていき、そうして人々のメモリーの中を漂い歩き廻る。Mickもきっと、そのひとりなのだろう。

ただ、癌で亡くなったMickに「ありがとう」と簡単に手を振って記憶の片隅に押しやってしまうのは、彼のいまはの際の想いを汲み取っていないかもしれない。52歳の若さで残して逝ってしまう妻子に対する彼の心苦は、幾ばくのものだったのか…

自らのサイトで、Mickの家族への支援をさりげなく呼びかけているデビシルは、やはり最期までMickの「友」であると思う。

(Myspaceに記載したブログFeb 27,2011を移動)
【追記】(Jun 19,2011)
InGladAlonenessMickの遺作となる、ピーター・マーフィーとのユニットDalis CarのEP詳細が公表された。

タイトルは‘InGladAloneness’。冒頭写真タイトル‘Lonely Musician’とダブるのは、単なる偶然だろうか。

もうジャケ見ただけで、背筋がゾクッ。実に素晴らしい。宙に浮いているかのような、ブランコ(テラス?)に座った少女風の足。
サルバドール・ダリ(Dalis CarのDaliは、ダリDalíですよね?!)の、時空を歪めたシュール・リアリズムが滲み出ており、かつThe Waking Hourに劣らぬ美しさだ。

これだけでもう、「Mick、ありがとう」と叫びたい。

マスタリングがなんと、トルコのイスタンブールで行われ完了したそうで、Mick原点の音色で彩られているのか、大変楽しみだ。
さらにdr.はスティーヴ・ジャンセン。リリースが誠に待ち遠しい。

About Yoshi Maeyama

Devotee of an anthropologist, S.Ann Dunham, translated her dissertation book "Surviving against the Odds - Village Industry in Indonesia" into Japanese. Graduate student in Gadjah Mada University. http://www.myspace.com/ammaeya/blog
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