Monthly Archives: April 2011

黒海諸国のポリフォニー-鳥、川、故郷  チェルノブイリの荒廃

ジャワにいるが、時より黒海周辺の国に思いを馳せている。 フィリップ・クテフ・ブルガリア国立合唱団によるMalka Moma(幼い娘)。数多いブルガリアン・ヴォイスの中で、とても素朴ながら繊細で奥深く、何度聴いてもDNAに直接響き渡ってくるようだ。 YTにブルガリア語(アルファベット表記)と英語の歌詞が添えられているが、リフレイン部分が省略されているので、歌通りに書き起こしてみた。僭越ながら、和訳もしてみた。 Малка мома музика Нели Андреева и Георги Генов солистка Нели Андреева (ブルガリア語Bulgarian) Malka moma si se Bogu moli:          Day mi, Boże, oczi Golwbowi, Day mi, Boże, oczi Golwbowi           Day mi, Boże, kriltsa sokolovi, Day mi, Boże, kriltsa … Continue reading

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ガムランの郷愁とコスモロジー ~小泉文夫とJAPAN~

夕陽がジョクジャカルタの空を紅く染めると、キャンパスの一角から聞こえてくるガムランの調べ。時より、学生サークルがリハしているものだ。 この響きに何度癒されたことか―。とりわけ昨年11月のムラピ山噴火[mov]で心身が凹んでいた頃には、心底救われた。 耳に届いてきた旋律は、あのJAPANのVoices Raised in Welcome, Hands Held in Prayerのリフレイン。曲の骨格になっているのがジャワ・ガムランだ。これについてはファンや東京音大Aneka-Sariの方が詳しく解説しておられるので、ここでは触りの薀蓄(うんちく)だけをちょっと: ジャワ・ガムランの音階には、PelogペロッとSlendroスレンドロの2種類がある。Voices-に使われているのはペロッ音階で、1オクターブを不均等に7分割している。これがガムランセット、あるいは村によって少しずつ調律がずれているというのだから、如何にも南国らしい ^*(*^^ 。 このペロッ音階が、えも言えぬ郷愁を誘う。 ジャワ・ガムラン(正確にはジョクジャ・スタイルの)は、○形式△用☆音階◇調という風に区分される。Voices-の音源は、ラドラン形式トゥダ‐サキン用ペロッ音階バラン調というらしい。ラドランLadrang はジャワ・ガムランの中でも更にゆったりした様式、トゥダ-サキンTedak-Saking はよく分からない^^。バランBarangは7音階の第1音調を指すらしい。 大学サークルがリハで奏でていた音色そのものを、ここで紹介できればいいのだが、耳にしたのが生憎、逍遙中だったり、カメラを持ち合わせていない時だったり。 どうせ、ネットに同じスタイルの演奏がアップされているだろう――と高を括っていたが、、ない…。やっとなんとか、ラドラン形式ペロッ音階バラン調-までは同じ演奏を見つけた。 旋律の一部が、なんとなくVoices-に似ている(かな^^;)。が、スバリそのものではなく、しかも演奏はジャワ人ではなく、米コーネル大学(アジア研究が盛ん)学生によるもの。〔ということは、Voices-音源と同じ区分の演奏は‘レア物’?〕 ウーン、さて、いかがなものかと額に手を当てていると、ふと民族音楽学者・小泉文夫氏[1]の記念資料室が同区分の演奏記録をネット公開していたのを思い出した。 同資料室の検索結果 あるいは、こちらから.m3uをDLしてネット聴可。1分辺りにVoices-のリフレインが聞こえてきます。 小泉氏が1971年にジョクジャカルタで採録。冒頭の同氏の語り口が何とも味わい深い。上述のAneka-Sariの方が指摘しているように、原曲(同区分曲)と聴き比べると、デビシルとステがあのリフ部分をピックアップし、そこに重ねている音とリズムのセンスの良さには、呻るばかりだ。 生前の小泉氏による膨大な資料数をみると、「この人は一体、1年間に何カ国廻って採録蒐集したのだろう」と、これまた改めてウーンと声が漏れる。以前にも書いたが、デビシルのインスト作品の中には、小泉コレクションを音源としているものがあり、Voices-も同コレクションから抽出、あるいはスティミュレイトを受けてアレンジったのは間違いない(だろう)。 ■ ジャワのガムランは単調で(特にバリのガムランと比べると)、大半はひたすら4拍子のリズムを繰り返すのみ。balunganバルンガン(骨格となる旋律)を倍、倍々...と伸ばすことで変化を付ける。これにjam karetジャム・カレッの概念と結びつける考察が多い。 ジャム・カレッとは、インドネシア語で「ゴム時間」の意味。要は、約束の時間にルーズなインドネシア人において、1時間遅れようが半日遅れようが、時には1日!(昔は)遅れようが、時間はゴムのように伸び縮みするので「ティダ・アパ・アパ」(問題ないよ~ん)といった具合の、時間観念だ[2]。 ジャワ・ガムランのリズム感に「ゴム時間」を当てはめるのは間違いではないと思うが、16ビートのガムランを奏でるバリ人だって時間にはいい加減だし、約束の時刻を守らないのは何もインドネシア人に限ったことではない(「ゴム時間」の概念はどこから来ているか―という議論の余地もある)。 推測だが、ジャワ文化の中心=ジョクジャカルタのコスモロジーと関連があるのではないか、と踏んでいる。ジョクジャは北にムラピ火山がそびえ、南には恐ろしくも慈悲深い女神ニャイ・ロロ・キドゥルがいるジャワ南海沿岸。山と海に挟まれ東西に道が延び、東にはプランバナンの巨大遺跡、西方にはボロブドゥール遺跡が残り、各先は“他界”へと通じる。 ジョクジャの人々は、南北に善、東西には悪の精霊が宿り、そのへそにスルタン(および宮殿)があるというコスモロジーを抱いている。この四方を巡回するサイクルが、単調な4拍子とつながっている(だろう)。 スルタン(イスラム王侯)の政(まつりごと)が堕落すると、東西南北の精霊パワーの均衡が崩れ、天変地異や政変が起きると考えられている。リズムが崩れ変調すると、その度に王朝が入れ替わる、あるいは外部者により侵攻される――そういった歴史を繰り返してきた、とみている。 事実、ムラピ火山が昨年大噴火した際には、中央政界を狙うスルタン(現在の州知事)に寄せる民衆の信奉が弱まった証だ―という批判が起きた。ちなみにジョクジャのスルタンの正妻は人間ではなく、女神キドゥル!である。 この手の関連書では、ガムラン演奏集団を主宰されている中川眞さんという芸術学者が、Musik dan Kosmos(音楽とコスモス)という本を、なんとインドネシア語!で著している(全171p)。実はまだ読んでいない;ので、独断仮説を検証するためにも拝読したい。 ということで、「これぞ、JAPANのVoices-音源オリジナルのガムランだ」 と見つけた方は、是非教えて下さい。批判、ご意見も大歓迎。 . … Continue reading

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