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帰国を終えて一考察

ヒトは、ホモ・メモリア Homo memoria。  キオク(記憶)する種 大脳が大きくなった。 生きている間の多くの割合を、「キオク」の使う営みに費やす。 ヒトは、肉体の死の前に、キオクの消滅=人間の死 を恐れる。 いや、「キオクが消滅するかもしれない」 と恐れる。 「自分 が 消滅 する かもしれない」 と不安になる。 ヒトはいつから、「自分」という意識を持つようになったのだろう。 自分=限定されたキオク 動物は、「自分が死ぬ」と考えるのだろうか。 この辺りは、脳解剖学・脳生理学の成果を待つしかない。 . 周りの多くの人が病いを患った。 祖国で多くの人が死んだ。 Wは聴衆に言った、  「無言の言葉」があると。 比喩ではないと。 彼は、10年間ともに病いと闘ってきた伴侶を失った。 でも、いまでも傍らに立ち、語りかけてくると。 Wの言葉は真だ。 . タマシイはある。人から人へと、波紋のように伝わっていく。 時がたつのも、遠いのも、かかわりなし。 キオクは波。 静かな水面に、波がある。 でも、「波」という定まったモノはない。 あるけど、ない。 ないけど、ある。 井筒俊彦のフレーズを借りれば、「波」が「存在」するのではなく、「存在」が「波」する。 「存在」は、ハイデガー的にいえば「実在」。 . キオクが、人たらしめる。 キオクは人から人へと、波紋のように伝わっていく。 それがタマシイ。 .

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