農村を翔けたオバマの母-インドネシアの民と歩んだシングルマザー【1】バリーとやって来た =庶民の営み愛した研究生

第44代米大統領を務めたバラク・オバマ氏の母親スタンレー・アン・ダナムは、インドネシアの庶民をこよなく愛した人物だった。シングルマザーとしてこの国で働きながら、ハワイ大の経済人類学研究生として、ジャワなど鍛冶農村のフィールドワークを14年間続けた。アンの夢は、自らの研究が女性や貧しい人々の地位向上に役立つこと。52歳で早世してから約20年。遺稿や旧友らのインタビューを通じて伝わって来るアンの志は、「庶民の幸福とはなにか」をいまのインドネシアに問いかけている。

バリーとやって来た

庶民の営み愛した研究生

バリでアヒル飼育を見学するアン=米人類学アーカイブ提供

バリでアヒル飼育を見学するアン=米人類学アーカイブ提供

1967年10月、栗毛色の髪を肩まで伸ばした白人女性が、縮れ毛の男の子の手を携え、丁子の香り漂うジャカルタ・ハリム空港のタラップに降り立った。20代半ばの若い母アンは、ケニア人の前夫との間に生まれたオバマ少年(当時6歳)を引き連れ、常夏のハワイとは変わらず日光がまぶしいインドネシアにやって来た。

出迎えたのは、西ジャワ州バンドン出身のロロ・ストロ。ハワイ大で知り合った二人は64年に結婚していた。一足先に帰国していたロロは、人類学部を卒業したばかりの妻とバリー(オバマ幼少期の呼称)との新生活を心待ちにしていた。

 

■9・30事件の余韻

「容共シンパと無実の人たちの虐殺が鳴りを潜め、不安の中でインドネシアが立ち直り始めたころだった」。ハワイ大のアリス・デューイ名誉教授(86)はそう当時を振り返る。アリスはインドネシアの農村経済が専門で、アンの恩師であり親友でもある。

共産党クーデター未遂といわれる「9・30事件」は65年に起き、アンがロロと再婚した翌年だった。スカルノ政権下での国費留学生のなかにはスハルト新政権により抑圧された者が少なくなく、ロロもその一人。事件後に帰国を命じられ国軍の地理調査員として働き、インドネシアが63年に併合した西パプア(当時)に左遷される。辺境の地での過酷な国境策定任務は、ロロにすでにトラウマ(精神的外傷)を負わせていた。

 

■異なるものに親愛

(右から)オバマ、実母アン、異父妹マイヤ、継父ロロ

(右から)オバマ、実母アン、異父妹マイヤ、継父ロロ

アンは一風変わった少女だった。キャリアウーマンだった母と、自由奔放な父の間に生まれた一人娘。保守的な風土の中西部カンザス州で生まれ育ち、一緒に遊んでいた黒人の少女が白人の少年グループから石を投げつけられ、ともに自宅の庭に身を隠したのは知られたエピソードだ。

父の仕事の都合で一家がハワイ州に移り住んだことが、アンの人生を決定づける。本土とは異なる「多民族の島」で、出身国(民族)別では日系人が2番目に多い。ハワイ大はさまざまな国から留学生を受け入れ、アンは人類学部の語学クラスでオバマの実父と、文化研究機関の東西センターでロロと知り合った。「アンは、肌がいわゆる有色の男性にしか目を向けなかったわ」と親友のインドネシア人作家、ジュリア・スルヤクスマ(62)は笑う。

アン・ダナムと言っても友人らはピンとこない。夫ロロの姓を名乗り、アン・ストロで通していた。オバマも幼少期はバリー・ストロの名前を使っていた。

ジャカルタで3人で暮らして3年後、愛娘マイヤを授かる。だがアンはロロの言動に不信感が募り、価値観のずれ、親族付き合いの葛藤も高まり、シングルマザーになる覚悟をし始めていた。

長女を産んで数年後、ハワイ大大学院・人類学科へ修士入学の願書を送る。志願論文を読んだアリスは、「アンがジャワの工芸品に魅了され、それらを作る農村の人々、特に女性の地位向上に役立つ研究に情熱的だった」。アンは71年、オバマをハワイの両親に戻し、博士課程に進んでからはインドネシアでマイヤとの2人暮らしを始める。

52歳の若さで子宮がんにより死去した。人生の約20年間はシングルマザーで、その素顔は自分の人生を重ねながら、異なる者、マイノリティー、弱者と手を携え闘う一人の女性だった(敬称略、【2】へつづく)

 

 

筆者:前山つよし ㈱PT. MAYAINDO PLUS 取締役、ライター。アン・ダナムの博士論文が要約編さんされたSurviving against the Oddsの邦訳「インドネシアの農村工業」(慶応義塾大学出版会、監訳:加納啓良)の訳者

(この投稿は、新聞連載に出稿する以前のオリジナルです。新聞では紙幅の都合で文字数に限りがあり、関心がある方々には十分に伝えられないため、ここで紹介します)

 

About Yoshi Maeyama

Devotee of an anthropologist, S.Ann Dunham, translated her dissertation book "Surviving against the Odds - Village Industry in Indonesia" into Japanese. Graduate student in Gadjah Mada University. http://www.myspace.com/ammaeya/blog
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